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女性の転職は、考える前にまず行動

女性が転職する時というのは、男性よりもむしろあれこれ悩むことなく、比較的切り替えが早く転職活動に入るようです。これは、男性が通常は大黒柱であることも理由に挙げられますが、私の場合は、別居をしたということが転職の最も大きな理由でした。すでに年齢も30代半ばとなり、しかも子持ちの女性であえる私がどうやって仕事を速攻で決めたのか、まずはそのポイントをお話します。

悩む前に行動まず何よりも言えるのは、あれこれと悩む前に行動したのが良かった、ということです。別居中だから、子持ちだから、三十路を過ぎているから、など余計なことに囚われず、とにかく仕事を下さい!というスタンスで挑んだことは良い結果を生んだと言えるでしょう。そして、ハローワークに対しても面接先の大学に対しても、応募期限や年齢制限に関係なく食い下がって応募したこともツキを呼んだと考えています。

何か大事なことを行う前というのは、どうしてもメリットやデメリット、諸条件などに気持ちが左右されて、迷いや不安が生じてしまうものです。しかし一番最初に「ここを受けたい」と思った直感は信じてあげて下さい。そして生じる迷いや不安をできるだけ追いやって、ただ一直線に転職活動に情熱を注いで下さい。そういう掛け値なしの行動こそが、本物のツキを呼ぶのではないでしょうか。

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私が行ったこと

地元に戻ってすぐに転職を決めた私が行ったことは、何も特別なものはありませんでした。地元では、人口誘致のために市役所主催の転職セミナーや転職サイトなども行われていましたが、少なくとも私はセミナー関連には出席していません。と言うよりも、セミナー関連に出席する間もなく転職が決まってしまったから、と言った方があっています。こういうと随分ついている人のように聞こえますが、速攻で転職を決めたのには、それなりの背景はありました。

閉館間際のハローワークに駆け込み、職員にわがままを言って食い下がって、応募期限の延長を取り付けたり、応募先である大学側にも一日だけまってもらってから応募書類を出したのです。つまり、ギリギリ滑り込みのような状態で、面接にこぎつけたのです。言ってみれば、ツキが向こうからやってきたのではなく、自分からチャンスを作ったと言った方が良いかも知れません。そしてチャンスを作ることができたのは、私に特別な何かがあったからというよりも、怖気づかずにトライしたこと、その一点だったと思っています。

また履歴書や自己PR文には、自分が別居中であることも明かし、それでも実家暮らしで家族の協力は100%整っているということ、自分の置かれている環境や子供がいることは自分の能力には関係のないことである、と堂々と書きました。つまり、デメリットをメリットにかえるように、自分から仕組んだこと、それが勝因であったと思います。

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女性のリスクをメリットに変えた履歴書と職務経歴書

とにかく何かに突き動かされるように行動を起こして転職に成功したのですが、実際に私が書いた履歴書と職務経歴書、そして自己PR文は一体どのようなものだったのかについてお話します。

どんなことを書いたのか、一言で言えば、「現状そのままを書いた」ということです。私が当時おかれていた環境、勤めてきた職歴、持っているスキルなど、現在の自分をそのままに書いたのです。ただし、ややオーバーに書いたことも否定しません。自分を書類だけで印象づけなくてはならないのですから、若干の色付けは許されるものです。

現状をそのまま書いた履歴書と職務経歴書履歴書には特別なことは書いていませんが、志望動機欄だけは丁寧に書きました。そして志望動機欄はあくまでも志望動機の「概要」であって、その詳細を自己PR文として詳細に書いたのです。私が別居中であること、それでも別居前は営業の会社でバリバリ働いていたこと、この度地元に戻ってきてすぐに働きたい気持ちがあることなどを、そこで詳しく、でも簡潔に書き上げて添付したのです。

子供がいることも、別居中だということも、女性で30代を越えているということも、全て正直に書いて、その上で「それが私の能力とは全く関係ない旨」「子持ちだからこそ、30代だからこそ、他の人よりもいろいろな経験をして人間的幅が広がった旨」を訴えたと、そういうことなのです。

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別居後の頑張り過ぎ

別居前まで勤めていた会社には、約3年間所属していました。その引継ぎ業務を急遽行わなくてはならなくなったため、私は急に忙しくなりました。実家と会社は電車で1時間半かかる距離なのですが、これを時には日帰り往復して、時には平日は泊り込んで最後の業務をこなしていました。

その一方で室蘭での職探しも行わなくてはなりませんでした。何しろこれまでの職を失って一旦無職になるわけですから、とにかく何でもいいから仕事を得る必要があったのです。また、子供がまだ幼かったので、保育園と小学校に通うための手続きは、別居の翌日から役所を走り回って手配したものです。そんな中でも子供たちに寂しい想いをできるだけさせないように、近所の海山に連れて行ったりもしていました。

その中で日中は仕事に精を出し、さらにコンビニでのバイトをしたりと、とにかく頑張る過ぎるほどに頑張っていました。そこまでして頑張ることが必要だったのも事実ですし、また、無理やり別居して子供たちを連れてきてしまっていることからも、子供への罪滅ぼしの気持ちもあり、やれることを精一杯やってがんばっていたのでした。

結局私は、地元で再就職してから一年後に体を壊し、せっかく落ち着こうとしていた職業生活をふいにしてしまうことになったのでした。それは私にとって頑張りすぎた自分への危険信号でもあったのだろうし、少しは休めという、心と体からのサインだったのかも知れません。

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職を失う怖さ

体を壊し、せっかく得た仕事もやめざるを得なくなりました。大好きだった仕事、やりがいがあった仕事。
大学でのパート事務でしたが、給料もそこそこの額をもらっていました。やりがいと報酬を備えた仕事、愛着のある仕事をやめて療養に専念しなくてはならない葛藤。別居は自分で決めた道だけど、それ以来頑張りすぎて、かえって失うものが多かったのではないか。別居自体に後悔は全くありませんでしたが、職を失うことには大変な怖さがありました。何しろ無収入になるのですから…。

それでも私は、この年で子持ちで、例え実家暮らしでも自立して子供を育てていくことを覚悟して決めていたはずです。だからこそ健康を害したことに対して、責任を持って療養に専念することもまた仕事だと思いました。愛する子供たちのためにも、早く元気なお母さんが戻ってくるように…。

そこまでは良いのですが、やはり無収入は精神的に怖いものです。収入がなくなるということは、相当のストレスがかかります。そこで私は黙って寝てばかりいられなくなりました。これはもう性分です。何かせずにはいられないのです。何もしないでいることが、不安で仕方なかったのです。

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