就職、結婚、出産、そして失脚の生活へ
就職活動と留学
大学生が就職活動を始めるのは、大学三年生頃からでしょうか。しかし私が大学生の頃では、皆が活動を始めたのは四年生になってからだったように記憶します。就職セミナーが頻繁に開かれるようになり、周りの友人達はみな焦ったように就職活動をし始めました。でも、ただ一人、私だけは就職活動は行わなかったのです。それは、留学に行くことを決めていたから。卒業したら留学しようということは、大学二年の頃にはすでに心に決めていたのです。みんなが就職活動をしている時に、自分だけがのうのう過ごしている、またはアルバイトに精を出している、それは何だか妙な気持ちでした。自分だけが取り残されていくような、そんな気持ちであったかも知れません。
私と周りの人とでは、その後の転職人生もやや違ってくることになるのですが、それはもしかしたら、この時すでに始まっていたことなのかも知れません。私は、就職活動を行わないことに焦る自分に、こう語りかけていました。「みんなが今やるべきなのが就職活動なのだろう。でも私がやるべきなのは、今後の留学なのだ。だから今は就職のタイミングではないのだ。」と。これは自分に対する言い訳ではなく、あくまでも、周りに流されず自分のやるべきことに目を向けさせようとするための、自分自身への肯定だったのです。
そして私は、卒業してから1年後、とうとうイギリス留学を果たしたのです。そしてイギリスでは、「英語でケンカができるようになること」「英語でジョークが言えるようになること」を目標として、随分と頑張りました。それは、英語で物事を考える力がついていなければできないこと、それだけのレベルが必要なことだったからです。
やっとホントに就職活動
そうして私は、1年間の留学を経て、日本へ帰国することになりました。イギリスに滞在していた1年間で私は、目標としていた「ケンカ」と「ジョーク」のレベルに何とか達することができ、仕事でも英語が使えるだけのスキルを身につけるに至ったのです。ですから、帰国後の就職活動でも、せっかく身に付けた英語力、そして対人コミュニケーション力を存分に活かせる仕事を見つけるために、就職活動を開始したのです。
その当時の私の就職活動は、はっきり言って「その他大勢」と変わらないものでした。つまり、履歴書に書くことと言っても、どこかのマニュアルにあることを何とか書けるくらいでしかありません。初めて就職するのですから、職務経歴書など書けるはずもありません。当時気付いたことですが、新卒の場合は、やはり四年生の時に就職活動をやっておいた方が、もう少しラクだったのかも知れません。帰国後の私は、他の途中入社組と対等に渡り合いながら職を得なくてはならなかったのですから、社会経験の無さは一番のネックになっていたように思います。そういう意味で、大学生のうちに就職活動をやるべきだったかなと、そう思ったのでした。
でも、私はやりたいことをやるために、就職活動をしなかったのです。それは私のした選択でしたから、後悔などもありませんでした。ただ現実として、社会経験のない若者が、他の転職活動組と一緒に仕事を探すということは、決して簡単なことではないのです。それを、身をもって知った、ということだったのでした。帰国後の半年間は、履歴書を出しまくって、派遣会社に登録もして、アルバイトもしながら職を探していましたが、ことごとく落ちてしまっていたのです。
「英語」の仕事へのこだわり良し悪し
英語職と名がつくものには、本当に片っ端から応募したのを記憶しています。しかし「片っ端から」と言っても、私の住んでいた地域で英語に関わる職を探すことは、あまり簡単なことではありません。全体の求人数自体はそこそこあるのですが、私自身が「英語が使える仕事」にこだわっていたため、自ら探せる仕事の範囲を狭めてしまっていたようにも思います。それでもとにかく、英語に関われそうな求人を見つけるたびに、私は履歴書とつたない自己アピール文を書いて送ったものでした。でも、全くの未経験者である私を採用してくれる会社は、なかなか見つからなかったのです。
そんな時に見つけたのが、ある小さな輸出会社でした。東南アジアに商品を輸出している会社で、そこの事務員としての求人募集でしたが、取引先との仕事の関係から、ビジネス英語ができることは必須、と条件付けされていたのです。まさに「これだ!」と思いました。私がイギリスで培ってきた英語力、ビジネス英語スキル、コミュニケーション力を活かせる可能性がある求人だったのです。もちろん、すぐに電話で問い合わせをして、応募書類を送りました。
2~3日してから、一本の電話がありました。出てみると、例の輸出会社ではありませんか。是非面接がしたいので、来て欲しいという連絡だったのです。私が候補に選ばれたのは、ビジネス英語スキルがある、というところにポイントがあったようでした。自分のやってきたことが報われることになるかも知れないと、私は勇んで面接に出かけました。
輸出会社で社会人スタート
当時、帰国して間もなかった私は、英語力も新鮮な状態でした。世界中で通用する英語テストであるTOEICでは中上級と言われる点数を、ケンブリッジ大学認定のビジネス英検ではビジネス英語初級を持っていましたので、日本の企業なら十分に通用する力を持っていました。その力を買われて、先に出た輸出会社に私は採用されたのです。未経験でも仕事をしながら覚えていってくれれば良い、ということでしたので、仕事をしながら本当に日々是勉強だったのです。
私に任された仕事内容はと言うと、事務作業、出納、お茶出し、スケジュール管理など、実作業を除いたほぼ全ての業務でした。もっと細かく言うと、輸出に関わる事務処理や海外とのやり取り、交渉事の通訳、翻訳、一般事務、来客対応、上司の航空券手配など、実に多岐に渡る仕事をしたのです。小さな会社ですから、これだけのことを任されれば、会社の経営状態から実務内容、付き合いのある会社や上司の知人関係まで、あらゆることに通じるようになります。これは後の自分にとっても、仕事をさばく力や、自分よりずっと年上の人との応対などに、大きく役に立つことになったのです。
やはり一番面白かったのは、私が求めていた「英語のお仕事」。海外の取引先との、ファックスや電話によるコミュニケーションは実に面白かったものでした。イギリスで学んだことがそのまま活きている、そういった感じでした。逆におかしいなと思ったことは、会社の経営状態についてでした。前述の通り、会社のあらゆることに通じていたため、どうもサラ金から借金をしての自転車操業である可能性も、見えてきていたのです。
そしてそう気付いた時にはすでに、社長との交際も始まってしまっていたのです。それは、深みにはまっていく序章でもありました。
