夫の失脚、妻の発起
再出発~夫と妻の温度差
夫の失脚によって、私たちは小さな子供たちを保育園に預けながら、働くことになりました。しかし問題は夫の動き方でした。30万円あれば何とか家族で生活していけるから、ということで希望給与30万円の仕事を探すものの、40代後半で途中入社になる夫にそんな仕事があるわけがありません。そこで、給与額にこだわらず何でもいいから仕事を探して欲しい、アルバイトでもいいから、とお願いするも、夫は「仕事なら何でもいいわけではない」「急いで仕事に就いて、合わなくてすぐ辞めたら元も子もない」と言って、雑誌やインターネットの求人欄を眺めるだけの日々が過ぎたのです。
その間の生活は、一般的な基準から考えれば最低なものでした。生活そのものが最低というよりも、生活の糧の得方が最低だというのです。車を売ったお金、不用品を売ったお金、友人知人から借りたお金、私の親から得た経済援助…。そんな中で悠々と仕事探しに熱中している夫を見ながら、私は何か違和感を覚えざるを得ませんでした。それでも、今を乗り切れば、という想い、そして子供たちのために、という想いから、頑張っていこうとしていたのです。一方夫の方は、正社員である程度の給料がもらえるところを探すことが真っ先にやることで、アルバイトなどの収入を得ようとする動きは全くありませんでしたし、出稼ぎに行くようなこともありませんでした。「家族は一緒にいることが大切」、それが夫の信条でしたが、生活が成り立たない状態では、そんな言葉も虚しいだけです。
それが、夫と妻の温度差として広がっていったもともとのスタート地点だったのでしょう。
社会隔離不安を越えてアルバイトへ
夫には収入がない、となると、私自身も働く必要が出てきました。とは言っても子供はまだ2歳と3歳、フルタイムで働くにはまだ無理がありましたので、取りあえずアルバイトに出ることにしました。
一人目の子供を妊娠してから3年余り、ずっと専業主婦で家の中で家事育児をやってきた私は、すでに社会生活から隔離された状態にあったと言っても過言ではありません。つまり、アルバイトにしてもパートにしても、正社員にしても、会社という集団の中で仕事という責任を負って働く、ということからあまりにも離れてしまっていた、ということです。これは女性にとっては大変不安なことでした。それでも働かなければならなかった状況であったため、私は、子供向けの英会話講師を始めたのです。これもまた、応募するまでにはかなり悩んだものでした。応募してもし採用されたとしても、ブランクがありすぎて仕事についていけるだろうか、という不安はとても大きかったのです。オンライン英会話は生活が厳しくなってからはすでにやめてしまっていたため、自分の英語力にも不安がありました。それでも、生活のためと思い切って応募の電話をかけ、面接に出かけることになりました。久しぶりの化粧、久しぶりのよそ行きの服装でした。それだけでも何か緊張感が高まるような気持ちだったのを覚えています。
何とか採用が決まり、子供向け英会話講師として働くこととなりました。時に、自分の仕事の仕方や出来具合がとても不安になり、悩んだこともありましたが、あの時思い切って応募したことで、今まで私の前に立ちはだかっていた「社会生活隔離」という不安は、いつの間にか去っていたのです。
妻が発起するとき~正社員への道
私のアルバイトでは、月に数万円の給料が入る程度でしたが、それでも何も収入がないよりはずっとましでした。夫も私の収入を当てにしていました。しかし夫の職探しは相変わらずの状態です。いくら言っても夫もアルバイトに出る、ということはありませんでした。これでは収入はいつまでたっても増えないし、生活もいつまでたっても立て直すことなどできるわけがありません。
あまりにも職が決まらない夫に業を煮やし、私は一念発起することにしました。夫のことは正直どうでもよかったのです。ただひとえに、子供を含めた家族生活を何とか維持するためには、夫を頼っていてはどうにもならない、というのが当時の感覚だったのです。そこで私は、自分が正社員としてフルタイムで働き、一家の大黒柱となる必要があると判断しました。ここは「女性」としてよりもむしろ、「母」としての意識の強さだったと思います。子供を持つ母親だからこそ、ピンチの時にも必要な行動が取れる、ここはむしろ、男性よりも柔軟性と肝っ玉に優れた部分かも知れません。
そうして私は、新聞の求人広告、ハローワーク、インターネット、求人雑誌などに常に目を通し、これと思った求人には片っ端から応募をしていったのでした。正社員になれば安定した給与がもらえる、そうすれば家族の生活もなんとか成り立たせることができるのではないか、もう夫には任せておけない、それが私の覚悟であり、一念発起の心中だったのです。
