結婚・出産による社会隔離
年上の夫
上司、というよりもその会社の経営者であった人とは、私が入社して間もなく交際が始まりました。相手は私よりも17歳も年上でしたから、随分と大人に思えたものです。そんな中でも恋愛感情は高まり、徐々に同棲へと移行していきました。
同時に、私は仕事をする中で、また交際相手である経営者男性との付き合いが深まるにつれて、会社の状態が決して思わしくないこと、借金だらけであることに気付いていったのです。しかし若いということは、時に盲目になるものです。そんなに大きな負担を背負い込んでヒーヒーと会社経営をしている相手を見て、むしろ自分は彼の力になりたいとさえ思ったのです。年上の人でしたから、自分をいつもリードしてくれていましたし、一緒に頑張ればいつかはこんな苦労も乗り越えられる、そう信じていました。と言うよりも、信じ込もうとしていたように思います。
ところが今振り返っても、彼は常識的にあまりきちんとした人ではありませんでした。17歳も年上であるにも係わらず、私の親に対して挨拶のひとつもなく、催促しても「忙しい」の一点張りで、私の親に会って同棲する旨を伝えることを避けてきたのです。半ば強引に同棲を始めたものの、当然ながら私の親は彼に対してすでに不信感に似た感情を抱き始めていったことでしょう。
そうして同棲を始め、本来なら係わらなくてもいいはずの会社経営、借金問題にまで深く入り込んでいってしまうのです。実際に私名義で彼の車も買いました。彼は金融的にブラックになっていたからです。それなのに、2年後、子供ができたことから、私たちは入籍し、本当に夫婦になってしまったのです。
妊娠、結婚そして生活の不安
結婚に際して、すでに経営状態はひっ迫していました。そんな中で、子供ができたのです。これは大変なことでした。もちろん子供ができたことは大変嬉しかったのですが、果たして育てていけるのか。それは心の片隅に、しかし大変強い不安として残ったままだったのです。
ところで、妊娠しても私は仕事を続けていました。なにしろ経営者が夫なわけですから、私のお腹が本当に大きくなるまでは、仕事を任され続けていたのです。これは私にとっても、決して悪いことではありませんでした。妊娠していることと、仕事能力とは全く別のものでしたから、私は変わらず仕事をこなしていました。ただ、つわりに耐えながらの仕事は確かにきつかった記憶があります。そして一番嫌だったのが、事務所内が禁煙ではないことでした。タバコを吸う人ばかりが出入りしていたので、事務所はいつもタバコの煙でもうもうとしていました。普通に考えても、健康に決してよくない環境ですね。今なら絶対にあり得ない職場環境でしょう。しかしその中で仕事をしていた私は、ただお腹の子への影響を常に心配しながら、仕事をするよりありませんでした。このあたりは、男性の無理解が悲しいところです。
いい加減お腹が大きくなってきた妊娠6ヶ月頃、一旦事業を中断せざるを得ない状態になり、幸か不幸か、私は仕事から離れることとなりました。私は家で完全に主婦として生活していましたが、夫はすぐに代わりの仕事を見つけようとはせず、借金に頼る日々。夫が当時思っていたことは、銀行から何とか事業資金を借り入れて事業再開を果たすこと、それだけだったろうと思います。お腹の大きい私に、アルバイトにさえ行こうとしない夫。これから先の不幸を象徴するような絵だったのです。
専業主婦と社会隔離
私は完全に専業主婦となっていました。同時に幼子の母親でもあり、毎日家事と育児に明け暮れていました。赤ん坊の世話をすることは私にとって、大変な負担でもありましたが、大きな幸せでもありました。一方で抱えていた大きな想いがありました。それは、自分がどんどん社会生活から離れていっているような感覚だったのです。毎日相手にするのは子供と近所の人くらい、出かける先は近所のスーパー程度、話す相手も話題は日常生活のことばかり。もともと外向性があった私には、専業主婦のあまりにも限られた行動範囲に、社会から自分が隔離されていくような怖さがあったのです。そんな中、長男の出産後半年ほどして、長女を身ごもりました。つまり年子を授かったわけです。母として忙しい日々、もうひとつの言い方をすれば社会から遠ざかる日々は、まだまだ続くことになるのです。
長女を翌年出産した後、私は二つのことを始めました。ひとつはパソコンを使ってのオンライン英語レッスンの受講です。それも国内のではなく、イギリス発のオンライン専門英会話システムを使ってレッスンを受けるようになったのです。これはもちろん、自分の培ってきた英語力を維持するためでした。もうひとつは、原稿を書くことでした。実際に出版するまでにはもちろん至りませんでしたが、自分のこれまでの人生を振り返った原稿を書くことで、何を得て、何を失って、どう成長してきたのかが整理されるような気がしていました。ですから、出版されないことよりも、原稿を書いていたこと自体が楽しかったのです。この二つのことは、前述の「社会隔離への怖さ」から逃れるために始めたことです。怖いからこそ、何かひとつでも、少しでもいいから社会との縁が切れないように何かをしておきたい、その想いから始めたことでした。
夫の事業不振と倒産
借金を重ね、完全なる自転車操業だった夫の会社が倒産するのは、もう時間の問題でした。夫は必死に事業を継続させようと走り回っていましたが、もうすでに時は遅すぎたのです。2人目の子供が生まれてから2年後、会社はとうとう破綻してしまいました。そんな経緯から、私も働かざるを得なくなり、子供を保育園に預け、日中のアルバイトに出ることにし、夫は新たに正社員として別の仕事を探すことになったのです。
ところで会社が破綻するということは、大変なことです。事業にまつわる借金返済の取立てが急に厳しくなったり、黒服のごつい男が家にまで借金返済の催促に来たり、とにかく始終誰かが家のインターホンを鳴らす、といった状態になります。当然ながら、弁護士を間に立てなくては到底処理できない状態になるのです。我が家も、車を売ったりしたなけなしのお金で弁護士を雇い、借金の整理をしました。そして夫は事業資金関連で、私はカードなどの債務が払えなくなったために、それぞれ自己破産をせざるを得なくなったのです。仕方の無いことでしたが、カードの返済にはきちんとしていた私にとっては、自己破産とは、自己否定や社会抹殺に等しいくらいにショッキングな出来事だったのです。ところが当の夫の方は、これで面倒なことから逃れられると、そんなのん気な状態でした。すでに私たち夫婦に、温度差が生まれていた証拠なのかも知れません。
そうして事態は、私が一念発起すべき時へと発展することになるのです。
